一昨日、卒業ソングについては書きましたね。昨日は『蛍の光』を現代語訳しました。今日もネタ切れのため、『仰げば尊し』の歌詞を古文と捉え、この現代語訳にチャレンジしてみます。
《歌詞》
仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月 今こそ別れめ いざさらば
互いに睦みし 日頃の恩 別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば
朝夕馴れにし 学びの窓 蛍の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月 今こそ別れめ いざさらば
《大まかに意訳》
私の先生への恩は仰ぎ見るといつも尊いものだ。教えを受けるのももう何年経ったろうか。思えば、この年月はとても速い。今、別れよう。いざ、さようなら。
互いに仲良くした日常の恩は、別れた後にも忘れるなよ。立身出世し名声をあげて、さあ励め。今、別れよう。いざ、さようなら。
毎日いつもなじんできた学び舎の窓。蛍の光や雪の明かりを使っても勉強してきた。過ごした日々を忘れることはない。今、別れよう。いざ、さようなら。
《逐語訳》
「仰げば尊し」=仰ぎ見るといつも尊い(「已然+ば」は順接確定条件・順接恒常条件・並列対照のいずれか。順接確定条件は「ので、から」もしくは「~たところ」と訳す。今回は恒常条件として解釈した。)
「我が師の恩」=私の先生への恩
「教えの庭にも」=教えを受けた場所にも
「はや幾年」=もう何年経ったろうか(「はや」は副詞で「もう、すでに」の意。「幾年」は「数年」という確定的な意味ではなく「何年くらいだろうか」という不定のニュアンスを含む)
「今こそ別れめ」=今、別れよう(助詞「こそ」があるため係り結びの法則によって文末が已然形になっている。強調なので現代語訳には反映していない。誤るケースが多いが「別れ目」ではない。「こそ」を除くと「今別れむ」であり、「め」は意志の助動詞「む」の已然形であることが分かる。ちなみに、助動詞「む」の意味には、推量、意志、仮定、勧誘、婉曲、適当がある。「すいかかえて」と覚えよう。)
「いざさらば」=さあ、さようなら
「互いに睦みし」=互いに仲良くした(「し」は過去の助動詞「き」の連体形。直接体験した過去であることが分かる。ちなみに、直接体験していない過去のときは「けり」を使う。)
「日頃の恩」=ふだんの恩
「別るる後にも」=別れたあとでも(「別るる」は、ラ行下二段活用動詞「別る」の連体形。)
「やよ忘るな」=さあ忘れるなよ(「やよ」は呼びかけのときや囃子などのかけ声に使われる感動詞。ここでは呼びかけと捉えて訳した。)
「身を立て名をあげ やよ励めよ」=立身出世し名声をあげ、さあ励め
「朝夕馴れにし」=毎日なじんできた(「朝夕」は「毎日」の意。「にし」は完了の助動詞「ぬ」+過去の助動詞「き」。学校では「してしまった」と訳されがちだが気に食わないのでここでは「してきた」と訳した。)
「学びの窓」=勉強したところ(「窓」とあるが、窓に限らず部屋(教室)、ひいては学校全体を指すと解釈した。)
「蛍の灯火」=晋書・車胤伝にある、車胤という人が蛍を集めて照明の代わりにし、勉強したという話から、学問に励むことを指す。
「積む白雪」=蒙求にある、孫康という人が雪の明かりを使って勉強したという話から、学問に励むことを指す。
「忘るる間ぞなき」=忘れる時間がない(「忘るる」はラ行下二段活用動詞「忘る」の連体形。四段活用の「忘る」は自発的に忘れるときに使い、ラ行下二段活用の「忘る」は自然と忘れるときに使う。)
「ゆく年月」=過ぎ去る年月
《ブログらしく言いたいことを》
1番は卒業生から先生への言葉、2番は友達同士、あるいは在校生から卒業生への言葉、3番はどちらにでも捉えられる言葉と解釈できますね。J-POPより短い言葉でこれだけの気持ちを伝えられるのはすごいと思いませんか。やっぱり卒業式といえば『仰げば尊し』だよね。
えーと。ネタ切れで書き始めた昨日今日の記事なんですけど、非常に時間がかかりました。明日からはネタ探し頑張ります。