inada_haruaki’s blog

愛媛出身21歳大学生が綴る挑戦とつぶやきのブログ。

『蛍の光』を現代語訳してみる

 昨日、卒業ソングについては書きましたね。今日もネタ切れのため、『蛍の光』の歌詞を古文と捉え、この現代語訳にチャレンジしてみます。なお、一般的に卒業式で歌われる1番と2番だけを抜き出しています。

《歌詞》
 蛍の光 窓の雪 ふみ読む月日 重ねつつ
  いつしか年も すぎの戸を あけてぞ今朝は 別れゆく
 とまるも行くも 限りとて かたみに思う 千万ちよろず
  心の端を 一言に さきくとばかり 歌うなり

《大まかに意訳》
 蛍の光や窓の雪を使ってまでも 勉強をする月日を重ね いつのまにか年が経ち 杉の戸を開けて 夜が明けて今朝は 別れていく
 留まる者も行く者も 今が最後であるといって 互いに思う多くの 心の端のことを一言で 「幸せに」とだけ 歌うのである

《逐語訳》
 「蛍の光」=晋書しんしょ車胤伝しゃいんでんにある、車胤しゃいんという人が蛍を集めて照明の代わりにし、勉強したという話から、学問に励むことを指す。
 「窓の雪」=蒙求もうぎゅうにある、孫康そんこうという人が雪の明かりを使って勉強したという話から、学問に励むことを指す。
 「ふみ読む月日 重ねつつ」=書物を読む(勉学に励む)月日を重ね続けて
 「いつしか年も すぎ」=早くも何年も過ぎ(時間の単位が「月日から年」になるという表現)
 「すぎの戸をあけて」=杉でできた戸を開けて
 「あけてぞ 今朝は」=夜が明けて今日の朝は
 「別れゆく」=別れていく
 なお、助詞「ぞ」があるため、係り結びの法則によって「別れゆく」は連体形になっている。また、「すぎ」「あけて」は掛詞。

 「とまるも行くも」=留まる者も出て行く者も(「とまる」「行く」は連体形なので「物」あるいは「者」を補う)
 「限りとて」=最後と思って
 「かたみに思う」=たがいに思う
 「千万ちよろずの」=数えきれないほど多くの
 「心の端を」=心の(表れた部分の)端を(日本人ってなるべく心を前に出さない美徳があるようですが、それでも表れてしまったその一部、くらいに思いましょう)
 「一言に」=一言で
 「さきくとばかり」=「幸せに」とだけ
 「歌うなり」=歌うのである

《ブログらしく言いたいことを》
 ね?昨日書いた通りでしょ?歌詞が少ない中にも掛詞なんかの表現を取り入れ、さらに伝えたい山ほどの言葉を一言「幸く」とだけ歌う。こんなに美しい歌が最近のJ-POPにありますかってのよ。学校の先生方に強くお願い申し上げる。君たちが歌うのはこんなに美しい歌詞で、卒業生を送り出すにはこれ以上ない歌であるとしっかりと教えていただきたい。

 ま、省略した3番、4番は戦争に関する内容なので伏せたというのが実際のところなんでね。この歌が嫌いな人もいるでしょうが。でも時と場合によって伝わる気持ちが変わるのも歌のいいところということにしておいてください。


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