inada_haruaki’s blog

愛媛出身21歳大学生が綴る挑戦とつぶやきのブログ。

国語のテストと日常会話

 日常会話の中で見つけた、国語のテストの重要な部分。今日は、今週のお題「大発見」にちなんで、このテーマで書いていく。

 広島県安芸高田市の市議会の様子が昨今YouTubeで話題になっている。比較的若い市長が比較的年老いた議員と議場で論を交えるというごく普通の内容である。これの人気の秘密は、市長の歯に衣着せぬ物言いにあるらしい。まぁ議員のほうも、居眠り(と思われる行動)をしたり、不規則発言をしたり、反問権に対する答弁が頓珍漢だったりと様々問題はあるようである。

 この安芸高田市の石丸市長の発言に、「国語力」という言葉が出てきたことがある。これを聞いてふと、国語のテストって生きていく上で必要だったかという疑問が浮かんだ。実際、大学に入ってから国語の授業を受けた覚えはない。高校で習った国語も、結局は評論と小説と古文漢文である。さて、「国語力」というのは私にかかわりがあるのだろうか。

 少し考えてみたら、親との会話で常にイライラしていたころの自分を思い出した。大学に入ってからは週一回電話をするかどうかくらいの頻度になったが、高校生のときまでは毎日会話をしていたのである。当然、当時のほうが衝突は多かった。その時の会話の中で、私の質問に対する親の回答がまさに頓珍漢だったのである。それが私をイライラさせる大きな原因になっていた。

 国語のテストの常識として、回答の仕方というものが決まっていることが多い。例えば、「どういうことか。」という問いに対しては「~ということ。」のように「こと」をつけて答えねば正解とはならない。「なぜか。」「理由を述べよ。」という問いであれば、「~から。」「~ため。」と締めくくる必要がある。「抜き出して答えよ。」という問いであれば、本文から一言一句違わずに書かなければならない。

 これは、日常会話でも当然のように使わねばならないルールであるということにやっと気づいた。私の親の例でいえば、理由を聞いたのに関係のないことを話し始め、「から」で締めくくらない。ではその話した内容が理由なのかと確認をすれば違うという。………なんか別の問題ような気がしてきたが放っておく。つまりは理由を問われたのに対し理由を答えないのである。なるほど会話が成立しないわけだ。すごく納得した。

 ちなみに、この問題は現在に至るまで解決されていない。最近の電話でも、私の質問に的確に答える割合は低い。そんな親の元で育った自分もそのような症状が出ていないとも言い切れないので、人と話すときは十分に注意しようと思う。

 久しぶりに真面目なことを書いたんで疲れました。


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