inada_haruaki’s blog

愛媛出身21歳大学生が綴る挑戦とつぶやきのブログ。

今日は祖父の命日です。

 うちの祖父、今日が命日なんです。亡くなったのは私が生まれる2年前。今日は、遺影でしか知らない祖父について、聞いた話ですが書いてみようと思います。

 祖父の仕事は、中学校の教師でした。科目は国語と技術だったと聞いています。よく分からない組み合わせだと私も思います。ただ、娘である私の母が言うのですから、国語の先生であったことも技術科の先生であったことも間違いないようです。

 田舎というところは、学校同士の連携がかなり密だったりします。そもそも一校あたりの人数が少ないのもそうですが、大抵の場合、先生たちの異動が内々で完結してしまうので、「あの先生はこの先生の知り合いの先生」とかいう状態がよく起こるのです。実際、小学校の音楽の先生と中学の社会の先生は過去に一緒に働いたことがあったようです。

 そんなことが起こりうる環境ですから、当然、うちの祖父を知っている先生が中学にいたわけです。一緒に働いたことのある先生が担任だったときには驚きましたが、体育の担当がうちの祖父の教え子とかいうじゃないですか。こちらとしても祖父の顔に泥を塗るわけにいきませんから、少なからず緊張した状態で生活していたのをいまでも思い出します。ま、これでもかというくらい色々やらかしたんですが、それはまた別の話ね。

 親としては、厳しくも優しい父親だったと母が言っていました。締めるところはきちんと締め、緩めるところはきちんと緩めるような親だったそうです。残念ながら仕事がずっと忙しかったそうで、あまり遊んだ記憶というのはないと言っていました。教育者の顔を持つ親というのは大変なんだろうなと感じました。

 ここからは真偽が曖昧ですので注意して読んでください。聞いた話では、教壇かどこかで、心筋梗塞脳梗塞かなにかで倒れたそうです。その後10年程度にわたって自宅で療養を続け、その末に息を引き取ったという最期だそうです。祖母の家にはまだ、ベッドの周りに家族が揃ったときに一緒に撮った写真が何枚も飾られています。

 亡くなった後、未練があったんだろうと思える出来事があったようです。2001年3月末に芸予地震と呼ばれる地震が発生しています。このとき、ちょうど祖父は荼毘に付されている真っ最中だったそうで、地震によって一度設備が停止したというのです。「やり残したことがあるんやろうなぁ」と思いますよね誰でも。

 そんなことがあった2年後、祖父の3回忌の法要の日の朝に私が産まれました。なんかあるんですかね。なんかありそうですね。とにかく、祖父を含めた先祖に恥ずかしくないよう、また1年を生きようと改めて思いました。


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