先日、浄土真宗の寺の住職からお話を聞く機会があった。そのなかで出てきたのは蓮如上人(れんにょしょうにん)と一休禅師(とんちで有名な一休さん)との問答の逸話だった。なお、今回の記事では内容をより正確にするため、以下のサイトを参照した。
浄土真宗の経には、極楽浄土のことについて説かれているものがあるらしい。それによると、極楽浄土は「十億万土(ど)」という距離の先にあるというのである。
これを見た一休禅師は蓮如上人に対し、
「極楽は十万億土と説くなれば足腰立たぬ婆は行けまじ」
と問うた。蓮如上人はこれに答えて、
「極楽は十億万土と説くなれど近道すれば南無の一声」
と返したそうだ。
これの意味を簡単に解説する。一休さんは「極楽は遠すぎて足腰の不自由な老人はたどり着けないだろう」と聞いたが、蓮如上人は「極楽は遠すぎるというけれども『南無』と一声発すればすぐ近くに来る」と答えた、ということである。落語家が仏教のお偉いさんだったら笑点でやりそうな問答だなと感じた。
これを紹介した住職は、自分をその幸せな場所に感じられるかどうかが心の安定につながるということを説いてくれた。故郷を思うとき、多くの人は心が落ち着く。それは故郷にいい思い出が多くあり、そこに自分がいるような感覚になるからである。つまり自分が故郷に行かなくとも故郷が自分のところに来てくれる、ということらしい。スポーツなどの選手が「応援をお願いします」とよく言うが、子供は親に「応援してね」とはあまり言わない。これは子供が、「親は必ず応援してくれる」と信じているからである。子供は親を自分の心に引き寄せることで頑張ることができる、ということだそうだ。神仏に関しても同じで、「見守っていてください」というより「いつも見守ってくれてありがとう」と手を合わせる人のほうが心が落ち着いているという。それは常に見守ってもらっていると信じているからである。幸せを感じるときというのは心が落ち着ているときであるから、感謝することは幸せにつながるんだよ、というお話であった。
なるほどたしかに、感謝の言葉を口にする人ほど幸せそうというのには直感的にも納得がいく。昔はよくわからないことを長々と喋る坊さんだと思っていたが、ちゃんと聞いてみるとまっとうなことを言っていたようだ。余談だが、この住職の話は長いことで有名らしい。
~~~つづく~~~