でも、心残りは何もありません。
土曜に父から連絡がありまして、祖母が天に召されたと知りました。実は病気だったので、そう長くは持たないということは本人含め皆分かっていたことでした。しかし、いざその時になると辛いものがありますね。
この祖母というのは、山梨に住んでいる方の祖母でしてね。このブログを読んでくださっている方は、夏に私が会いに行っていたというのをご存じでしょう。その頃から体は悪かったんですが、在宅で薬を飲んでごまかしている時期だったんです。もしかしたら最後かもとは心のどこかで思ってはいましたが、本当にそうなってしまいました。
伯母と一緒に暮らしていましてね。二人で畑をやって楽しく過ごしていたんですが、その伯母が少ししんどいというので、2週間ほど前から父が手伝いに行っていたタイミングだったんです。祖母は、体はボロボロでも心はすごく元気でしてね。ごはんもおやつもしっかり食べ、受け答えもはっきりしていたんです。父が行ったときに、「そうよ夏に来てくれたんよ。お前の息子は本当によくできた息子に育ったなぁ」と祖母に言われたらしく、父も「褒めてもらえたわい」と喜んでいましたね。私も父もですが、たくさん話しましたし、祖母の思いの丈もしっかり聞いていましたんで、もう話せないという寂しさはありつつも、心残りはない、と断言できる状態になっています。行っておいて本当に良かったわいというのが私の感想ですね。
祖母が子供のころというのはまだ戦時中でしたし、結婚した後も姑との関係がよくなったようで、自分の好きなように生きた人ではなかったのではないかと思います。私の年齢を聞いて「若いなぁ。若いっていいなぁ。なんでもできるなぁ。」と涙をためて言っていたのが強烈に目と耳に残っています。でもたぶん、祖母が自分を犠牲にしたぶん周りが幸せになっているんじゃないかなぁと思うんですよね。なんだかんだ我々はとても幸せな生き方をしていますし、うちの父や伯母は毎日楽しそうですからね。祖母が頑張ってくれたおかげだなぁと、今更になって思うわけです。
最期は、10年以上娘と暮らした家で、娘・息子に見守られながら、静かに眠るように息を引き取ったそうです。すべてを見ると辛いことの方が多かった人生かもしれませんが、最後の方はのんびり楽しく過ごせていたようなので、ゆっくりやすんでくれればいいかななんて思っています。
山梨で荼毘に付したあと、壺に入れた状態で愛媛に運び、私の祖父が眠る墓に入れる予定のようです。残念ながら顔を見に行くことは叶いませんが、それこそ夏の元気な時に会っていますから、私は私のすべきことを頑張るのみですよ。と思うことにして、命を無駄にしないように生きようと改めて思い直しました。
なんかしんみりしちゃってごめんなさいね。ここに書けるくらいには私は元気ですのでご安心ください。明日からはいつも通りの内容に戻りますのでどうぞよろしく。そういえば私の知り合いの方々にひとつご連絡。こんなわけで今年は年賀状を出せませんのでご了承くださいませませ。ではでは。